達身寺|悠久の歴史を経て語りかける仏像たち
達身寺(たっしんじ)
みどころはいかに!?
どんなお寺!?
十九山(じゅうくさん)
宗派
本尊
創建
不詳
開山
行基菩薩
拝観料 400円
駐車場 あり
トイレ あり
住所
お寺の歴史
行基さんによる開山と伝えられていますが
焼き討ちに遭い
焼失と共に古文書も失われ詳しいことはわかりません・・・
かなり大きい大寺院であったとされています。
その折に仏さんを山あいの谷に
緊急避難させたと言われています。
しかし・・・・
時代と共に忘れちゃったみたいで
後の世に疫病がめっちゃ流行り
拝み屋さんの様な方に疫病の終息の
(当時は病院やお医者さんとはいきませんもんね・・・)
お願いしたところ
谷に放置された仏さんの罰である!!と言われ
谷に行くと沢山の仏像を発見!
この仏さん達を
祀るお堂を建立するに至り『達身堂』と名付けられたそうです。
このお堂が現在地に移り
『達身寺』曹洞宗のお寺として再出発にいたりました。
これが1712年のお話です。
謎多き仏像の方々
(写真撮影ができないのでHPより拝借しました)
第一収蔵庫
もはやちょっとした小学校のような感じです。
大小様々の仏さんがおられます。
形をとどめているのはほぼ一木造の仏像です。
よく見ると神像や光背の化仏の様なものも見当たります。
第二収蔵庫
こちらが達身寺のご本尊。
鎌倉時代の作で唯一胎内に記述があった仏像です。
ただ作者ではなく発願者の名前であると推測されているそうです。
『ミヤケ 建久3年』だったような記憶があります
(間違ってたらすいません・・・)
達身寺で最古といわれている仏像
唯一お顔が大陸伝来の様な顔をされていています。
寺伝では行基さんの作とされています。
しかもこのサイズで一木造なんです!
一木造のお地蔵さん
達身寺の人気投票ナンバーワンの仏像です。
こちらがポッコリお腹が特徴の観音さん
子授けの御利益があるそうで
参拝された方が無事子供を
授かったというお話もあります。
謎を深める達身寺様式の観音さん
こちら兜跋毘沙門天像
西村公朝さんが修復されこのお姿になっています。
他にもゴロゴロと毘沙門天さんがおられます。
謎多き仏像達の諸説
これだけの本尊級の仏像と大小様々な仏像たち
来歴に関しては諸説があります。
どれもありそー---な感じなんですが古文書などなく
裏付ける証拠はありません・・・
大きく3つの諸説に関して紹介します。
客仏説
丹波市には古刹が多く存在します。
多くは七堂伽藍の寺院であったそうで
恐らく僧兵を抱える強大な寺院であったと思います。
山あいに囲まれているので
独自の仏教文化および
寺院勢力が栄えていた可能性もあります。
また丹波市は丹波の国と呼ばれ
山に囲まれた難攻不落の要地とされていました。
土地は肥沃で鉱物は取れる
作物は沢山とれるほぼ完璧な国でした。
一度失敗しており二回目に大軍を動員して
やっと丹波の国を平定しました。
この様な背景と
本尊級の仏像及び小さな仏像がある背景とを考えると
戦火を逃れる為に達身寺に避難させたのではないか?
とも言われています。
これが客仏説になります。
出雲侵攻説
戦国時代の初期か中頃か
それより少し前かの話だそうですが
西国の出雲の国が近畿地方に向けて
大侵攻を始める機運があったそうで
西国の脅威から守るために戦の仏さんである
兜跋毘沙門天を大量に作って
祀り仏さんの力で侵攻を防ごうとした
とも言われています。
(後に出雲が侵攻してくることはありませんでした)
なんせ一寺に一体と言われ
楼門に祀られる兜跋毘沙門天がかなりの数
残っているのでなんらかの理由があると個人的にも思います。
ただ出雲侵攻説も裏付ける証拠はありません・・・
最後に
ロマン・ロマン・ロマンばかりのミステリアスなお寺
一体一体の仏像さんが語りかけ来るものは何なんでしょうね~~
それを感じるとますます興味が湧くロマンが尽きぬお寺です。
色んな説はあるけれど
現に我々の前に沢山の仏さんがましますというのが真実ですね
近くに来られた際は是非一度お参りされてはどうでしょうか~??