如意寺|法界寺伽藍配置が残る神戸の古刹
如意寺(にょいじ)
見どころ!!
- 法界寺伽藍配置という貴重な伽藍配置
- 緑が豊かで気持ちいい
- 凄い歴史を感じる
- 建物一つ一つが重厚で雰囲気が凄い
神戸市西区の山中に佇む古刹
- 法界寺伽藍配置が珍しい
- 3棟の建造物が国指定の重要文化財
境内
境内は山中の開けたく
ぼ地のようなところにあり
手入れされた芝生と
木々が特別な場所である
雰囲気を伝えます。
文殊堂
本尊は僧形文殊菩薩
その他祀られている仏さん
はわかりませんが
厨子が2つあります。
本尊の文殊菩薩は
慈覚大師円仁が多くの
経典と共に招来し安置されたと
寺伝で伝えられています。
御縁起では
『異朝和国随一之尊容是也』
と讃えられています。
堂内は簡素でとても渋いです。
恐らく修行が行われていた
行堂であると思われます。
- 掛け造りの建造物が貴重である
- 僧形の文殊さんもかなり珍しい
本堂
第二次大戦後まもなく
老朽化と傾いたために解体されたそうです。
礎石を見る限りかなり
大きい本堂であったと想像します。
法界寺伽藍配置の遺構
創建当初は本堂と
常行三昧堂(現阿弥陀堂)
の二堂からなる法界寺型の
伽藍配置をとっていたとされる。
あるいは、本堂跡の東にある
三重塔の前身を法華堂に想定し、
これに加えて西の常行堂
南の文殊堂という配置を
天台宗寺院でも早い時期の
遺構として10世紀の
願西尼による創建を支持する
説もあるそうです。
最後に
貴重な伽藍配置が織りなす
境内はどこか特別な
雰囲気が漂います。
お近くに来られた際はどうでしょうか~??
一遍上人の御廟|震災を乗り越えて受け継がれる上人の御遺徳
金蔵寺|古の歴史を語る山岳の大寺院
金蔵寺(こんぞうじ)
みどころはいかに!?
自然を満喫できる
静寂な佇まいが疲れを癒してくれる
どんなお寺?
宗派
金蔵山(かなくらさん)
開山
役の行者(えんのぎょうじゃ)
後に行基さんが入山
本尊
住所
駐車場とトイレは完備
かなり山の上にあるお寺です。
峠から参道に入りますが
そこからの道がかなり狭く対向車避けれません!
運転の際は気を付けてお越しください!
いざ境内へ!!
鐘楼堂
本堂
鰐口の重い厳かな音が山中に響きます。
金蔵寺の乾漆仏
この金蔵寺には
頭部だけが乾漆造りの珍しい如来さんがおられるそうです。
写真でしか見たことがありませんが
兵庫県下で唯一の乾漆仏で貴重な文化財です。
来歴などは不明で乾漆であるがゆえに謎を一層深めます。
最後に
山中に佇む山岳の大寺院。
道は狭くアクセスは厳しいですが
山の大きな力に圧倒されます。
もしお近くに来られた際は参拝されてはいかがでしょうか~??
鶴林寺|悠久の歴史を伝える天台の大寺院(伽藍編)
鶴林寺(かくりんじ)
みどころやいかに!?
国宝の本堂は圧巻です!
国宝の太子堂も他ではみれない建築です!
白鳳期の金銅仏(あいたた観音)宝物館で拝観可
高麗仏画(宝物館で拝観可)
太子堂の壁画(宝物館で拝観可)
新薬師堂のウインクしてる『まこら大将』
本堂前の沙羅双樹の木
などなど沢山あります。
どんなお寺?
刀田山
宗派
開山
始まりは高句麗の僧侶・恵便法師と聖徳太子
秦河勝(はたのかわかつ)という渡来人の人が七堂伽藍
を建立したのが始まりとされている。
その後、慈覚大師円仁がこられ天台宗となる。
本尊
(秘仏)薬師如来 脇侍 日光菩薩 毘沙門天
月光菩薩 持国天
いずれも大きな厨子の中に祀られ60年に一度の秘仏。
入山料 500円
小中学生 200円
宝物館 同上
住所
駐車場は広く
トイレも完備
いざ境内へ
境内は広くめっちゃ綺麗に整備されています。
本堂(国宝)
太子堂(国宝)
本尊は中央の須弥壇に
釈迦三尊と四天王を祀っています。
旧本尊は宝物館にお出掛けとなっています。
元々は法華堂で向かいに建つ常行堂と対をなしており
天台宗における特有の伽藍配置となっています。
建築様式について
見た感じちょっと変わった形をしていますが
宝形造りの屋根が主屋となっておりちょっと出てる部分が
礼堂(専門用語で孫庇っていうらしいです)
主屋に礼堂を付した形式の建築になります。
この主屋と礼堂の境目で屋根の軒先が折れ曲がってるのを
縋破風(すがるはふ)
と専門用語でいうらしいです。
屋根板の鎌倉時代の墨書から
天永3年(1112年)の建築とされています。
太子堂内の壁画
太子堂内は壁画がとても有名で本物は見れませんが
宝物館で彩色を含め復元されています。
平安時代のめっちゃ×2貴重な壁画です。
本尊が祀られている
背面の壁画に描かれている涅槃図と九品来迎図が著名で
特に涅槃図は文字では説明しにくいですが
主役のお釈迦さんの前に木が描かれているのですが
本来は主役の後ろに描かれます。
この手法は仏画の初期の特徴で現
存が極めて少なく貴重な絵画であるそうです。
長年の煤で太子堂内の壁画は肉眼では見えません・・・
かつてはこの煤により
壁画は無いとされていましたが念のため赤外線の調査を
行うとバッチリ壁画が確認され貴重なものと判明しました。
達身寺|悠久の歴史を経て語りかける仏像たち
達身寺(たっしんじ)
みどころはいかに!?
どんなお寺!?
十九山(じゅうくさん)
宗派
本尊
創建
不詳
開山
行基菩薩
拝観料 400円
駐車場 あり
トイレ あり
住所
お寺の歴史
行基さんによる開山と伝えられていますが
焼き討ちに遭い
焼失と共に古文書も失われ詳しいことはわかりません・・・
かなり大きい大寺院であったとされています。
その折に仏さんを山あいの谷に
緊急避難させたと言われています。
しかし・・・・
時代と共に忘れちゃったみたいで
後の世に疫病がめっちゃ流行り
拝み屋さんの様な方に疫病の終息の
(当時は病院やお医者さんとはいきませんもんね・・・)
お願いしたところ
谷に放置された仏さんの罰である!!と言われ
谷に行くと沢山の仏像を発見!
この仏さん達を
祀るお堂を建立するに至り『達身堂』と名付けられたそうです。
このお堂が現在地に移り
『達身寺』曹洞宗のお寺として再出発にいたりました。
これが1712年のお話です。
謎多き仏像の方々
(写真撮影ができないのでHPより拝借しました)
第一収蔵庫
もはやちょっとした小学校のような感じです。
大小様々の仏さんがおられます。
形をとどめているのはほぼ一木造の仏像です。
よく見ると神像や光背の化仏の様なものも見当たります。
第二収蔵庫
こちらが達身寺のご本尊。
鎌倉時代の作で唯一胎内に記述があった仏像です。
ただ作者ではなく発願者の名前であると推測されているそうです。
『ミヤケ 建久3年』だったような記憶があります
(間違ってたらすいません・・・)
達身寺で最古といわれている仏像
唯一お顔が大陸伝来の様な顔をされていています。
寺伝では行基さんの作とされています。
しかもこのサイズで一木造なんです!
一木造のお地蔵さん
達身寺の人気投票ナンバーワンの仏像です。
こちらがポッコリお腹が特徴の観音さん
子授けの御利益があるそうで
参拝された方が無事子供を
授かったというお話もあります。
謎を深める達身寺様式の観音さん
こちら兜跋毘沙門天像
西村公朝さんが修復されこのお姿になっています。
他にもゴロゴロと毘沙門天さんがおられます。
謎多き仏像達の諸説
これだけの本尊級の仏像と大小様々な仏像たち
来歴に関しては諸説があります。
どれもありそー---な感じなんですが古文書などなく
裏付ける証拠はありません・・・
大きく3つの諸説に関して紹介します。
客仏説
丹波市には古刹が多く存在します。
多くは七堂伽藍の寺院であったそうで
恐らく僧兵を抱える強大な寺院であったと思います。
山あいに囲まれているので
独自の仏教文化および
寺院勢力が栄えていた可能性もあります。
また丹波市は丹波の国と呼ばれ
山に囲まれた難攻不落の要地とされていました。
土地は肥沃で鉱物は取れる
作物は沢山とれるほぼ完璧な国でした。
一度失敗しており二回目に大軍を動員して
やっと丹波の国を平定しました。
この様な背景と
本尊級の仏像及び小さな仏像がある背景とを考えると
戦火を逃れる為に達身寺に避難させたのではないか?
とも言われています。
これが客仏説になります。
出雲侵攻説
戦国時代の初期か中頃か
それより少し前かの話だそうですが
西国の出雲の国が近畿地方に向けて
大侵攻を始める機運があったそうで
西国の脅威から守るために戦の仏さんである
兜跋毘沙門天を大量に作って
祀り仏さんの力で侵攻を防ごうとした
とも言われています。
(後に出雲が侵攻してくることはありませんでした)
なんせ一寺に一体と言われ
楼門に祀られる兜跋毘沙門天がかなりの数
残っているのでなんらかの理由があると個人的にも思います。
ただ出雲侵攻説も裏付ける証拠はありません・・・
最後に
ロマン・ロマン・ロマンばかりのミステリアスなお寺
一体一体の仏像さんが語りかけ来るものは何なんでしょうね~~
それを感じるとますます興味が湧くロマンが尽きぬお寺です。
色んな説はあるけれど
現に我々の前に沢山の仏さんがましますというのが真実ですね
近くに来られた際は是非一度お参りされてはどうでしょうか~??