如意寺|法界寺伽藍配置が残る神戸の古刹


如意寺(にょいじ)

  見どころ!!

  1. 法界寺伽藍配置という貴重な伽藍配置
  2. 緑が豊かで気持ちいい
  3. 凄い歴史を感じる
  4. 建物一つ一つが重厚で雰囲気が凄い

神戸市西区の山中に佇む古刹

  • 法界寺伽藍配置が珍しい
  • 3棟の建造物が国指定の重要文化財

どんなお寺?

山号 

比金山

宗派 

天台宗

開山 

法道仙人

本尊 

地蔵菩薩

創建 

奈良時代

神戸十三仏霊場3番(文殊菩薩

住所 

兵庫県神戸市西区櫨谷町谷口259

アクセス

至るまで道が狭いのでご注意です。

トイレ・駐車場は完備

お寺の縁起

如意寺の開基は
法道仙人と伝えられ

推古天皇の御代に櫨谷に飛来し

当山にて山翁(毘沙門天)より
霊木櫨(はぜ)の地蔵菩薩

造立を託され孝徳天皇の勅を
受けて大伽藍を設けたそうです。

平安時代に慈覚大師円仁さんがこられ
文殊堂及び常行堂が建立され今日の姿になる。

境内


境内は山中の開けたく
ぼ地のようなところにあり

手入れされた芝生と
木々が特別な場所である
雰囲気を伝えます。

山門

珍しい塑像の金剛力士が安置されている(鎌倉時代作)

お寺から離れたところにあり
往時の寺域の広大さがわかります。

如意寺に向かう途中にあります。

文殊

掛け造りの貴重な文殊

室町時代の建立で国指定重要文化財に指定されている。

本尊は僧形文殊菩薩

その他祀られている仏さん
はわかりませんが
厨子が2つあります。

正面からの文殊

本尊の文殊菩薩
慈覚大師円仁が多くの
経典と共に招来し安置されたと
寺伝で伝えられています。

御縁起では
『異朝和国随一之尊容是也』
と讃えられています。

堂内は簡素で渋い

堂内は簡素でとても渋いです。
恐らく修行が行われていた
行堂であると思われます。

縁側からの眺めも良く緑が気持ちいい

  • 掛け造りの建造物が貴重である
  • 僧形の文殊さんもかなり珍しい

常行堂

正面より(逆光ですいません・・・)

国指定重要文化財
鎌倉時代初期の建立で
正面を全面蔀戸としています。


前面が蔀戸(しとみど)
背面には後戸がありました。

三重塔

なんか雰囲気が凄いんです

国指定重要文化財
南北朝時代の建立。

全景

高台に建っているので境内を見渡せます。

本堂

本堂は現存していません・・・

第二次大戦後まもなく
老朽化と傾いたために解体されたそうです。

本堂跡の礎石

礎石を見る限りかなり
大きい本堂であったと想像します。

法界寺伽藍配置の遺構

創建当初は本堂と
常行三昧堂(現阿弥陀堂
の二堂からなる法界寺型の
伽藍配置をとっていたとされる。

あるいは、本堂跡の東にある
三重塔の前身を法華堂に想定し、
これに加えて西の常行堂
南の文殊堂という配置を
天台宗寺院でも早い時期の
遺構として10世紀の
願西尼による創建を支持する
説もあるそうです。

最後に

貴重な伽藍配置が織りなす
境内はどこか特別な
雰囲気が漂います。

お近くに来られた際はどうでしょうか~??


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一遍上人の御廟|震災を乗り越えて受け継がれる上人の御遺徳


一遍上人の御廟

所在地 真光寺の境内

住所  兵庫県神戸市兵庫区松原通1丁目1-62

一遍上人の御廟

門の先は聖域のような雰囲気

山門の先が上人の御廟がります。

なぜここに御廟が?

一遍上人がこの真光寺に来られ
境内の観音堂に住まれていたそうです。

そして時宗の中興及び開祖となられました。

お亡くなりになられたのも
このお寺となり墓所ができました。

遷化された時

境内の松の木の元で火葬され遺骨がが納められています。

御廟の境内

大きな五輪塔が御廟

御廟の五輪塔

震災により倒壊

一度
震災の時に倒壊し遺骨が散乱してしまったそうです。

備前焼の小さな壺に納められていた

遺骨は無事回収され

再度納められました。

また五輪塔が黒くなっているのは
恐らく空襲の痕跡であると思われます。

最後に

神戸界隈の散策や平清盛さんの
史跡めぐりのついでにどうでしょうか~??

お寺の境内も広く綺麗に整備されています。


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金蔵寺|古の歴史を語る山岳の大寺院


金蔵寺(こんぞうじ)

みどころはいかに!?

自然を満喫できる
静寂な佇まいが疲れを癒してくれる

どんなお寺?

宗派 

高野山真言宗

山号 

金蔵山(かなくらさん)

開山 

役の行者(えんのぎょうじゃ)
後に行基さんが入山

本尊 

薬師瑠璃光如来秘仏
※33年に一度の御開帳

住所 

兵庫県 多可郡多可町加美区的場853

駐車場とトイレは完備

かなり山の上にあるお寺です。

峠から参道に入りますが
そこからの道がかなり狭く対向車避けれません!

運転の際は気を付けてお越しください!

いざ境内へ!!

金蔵寺の庫裏
綺麗に彩られた手水鉢

鐘楼堂

鐘楼堂 渋い・・・

権現堂

権現堂 この度は堂内や縁側が新調されていました
権現堂の堂内 熊野権現を祀る

堂内は3つの厨子があり
質素な作りが山岳の修験を思わせる。

以前の参拝の折はだいぶ傷んでいた為
厨子の扉が開いちゃってしまってて

中には蔵王権現
それぞれの厨子に祀られていたのを見ました。

本堂

重厚な造りの本堂

鰐口の重い厳かな音が山中に響きます。

奥之院(行者堂)

奥之院 行者堂

蔵王権現の石仏

柴燈護摩

役のさんの石仏

綺麗な花

ふと見つけた花

名前はわかりませんがつい撮影しました。

金蔵寺の乾漆仏

この金蔵寺には
頭部だけが乾漆造りの珍しい如来さんがおられるそうです。

写真でしか見たことがありませんが
兵庫県下で唯一の乾漆仏で貴重な文化財です。

来歴などは不明で乾漆であるがゆえに謎を一層深めます。

最後に

山岳の寺院に相応しい山深さ

山中に佇む山岳の大寺院。

道は狭くアクセスは厳しいですが
山の大きな力に圧倒されます。

もしお近くに来られた際は参拝されてはいかがでしょうか~??



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鶴林寺|悠久の歴史を伝える天台の大寺院(伽藍編)


鶴林寺(かくりんじ)

みどころやいかに!?

国宝の本堂は圧巻です!
国宝の太子堂も他ではみれない建築です!
白鳳期の金銅仏(あいたた観音)宝物館で拝観可
高麗仏画(宝物館で拝観可)
太子堂の壁画(宝物館で拝観可)
新薬師堂のウインクしてる『まこら大将』
本堂前の沙羅双樹の木
などなど沢山あります。

どんなお寺?

山門(ここで入山料を納める)

山号 

刀田山

宗派 

天台宗

開山 

始まりは高句麗の僧侶・恵便法師と聖徳太子
秦河勝(はたのかわかつ)という渡来人の人が七堂伽藍
を建立したのが始まりとされている。
その後、慈覚大師円仁がこられ天台宗となる。

本尊 

秘仏薬師如来 脇侍 日光菩薩 毘沙門天
            月光菩薩 持国天
いずれも大きな厨子の中に祀られ60年に一度の秘仏

入山料 500円
    小中学生 200円
宝物館 同上

住所 

兵庫県加古川市 加古川町北在家424

駐車場は広く
トイレも完備

いざ境内へ

境内は広くめっちゃ綺麗に整備されています。

境内はこんな感じです

本堂(国宝)

国宝に指定されている本堂
建築様式について

こちらの本堂は
和様・禅宗様・大仏様の折衷様式で建てれています。

ちらかというと和様に禅宗様を加味したような感じです。

桟唐戸(縦横に桟を組んだ扉)を
多用するのが特徴の建築様式。

内陣の宮殿の銘から
応永4年(1397年)の建築とされています。

この建築様式は現存も少なく
全て瀬戸内海沿岸部に集中しているという謎があります。

こちらが桟唐戸 確かにめっちゃついています

太子堂(国宝)

国宝の太子堂

こちらの太子堂鶴林寺のシンボルでもあります。

本尊は中央の須弥壇
釈迦三尊と四天王を祀っています。

旧本尊は宝物館にお出掛けとなっています。
元々は法華堂で向かいに建つ常行堂と対をなしており
天台宗における特有の伽藍配置となっています。

建築様式について

見た感じちょっと変わった形をしていますが

宝形造りの屋根が主屋となっておりちょっと出てる部分が
礼堂(専門用語で孫庇っていうらしいです)

主屋に礼堂を付した形式の建築になります。

この主屋と礼堂の境目で屋根の軒先が折れ曲がってるのを

縋破風(すがるはふ)

と専門用語でいうらしいです。

屋根板の鎌倉時代の墨書から
天永3年(1112年)の建築とされています。

太子堂内の壁画

太子堂内は壁画がとても有名で本物は見れませんが
宝物館で彩色を含め復元されています。

平安時代のめっちゃ×2貴重な壁画です。

本尊が祀られている
背面の壁画に描かれている涅槃図と九品来迎図が著名で

特に涅槃図は文字では説明しにくいですが
主役のお釈迦さんの前に木が描かれているのですが
本来は主役の後ろに描かれます。

この手法は仏画の初期の特徴で現
存が極めて少なく貴重な絵画であるそうです。

長年の煤で太子堂内の壁画は肉眼では見えません・・・

かつてはこの煤により
壁画は無いとされていましたが念のため赤外線の調査を
行うとバッチリ壁画が確認され貴重なものと判明しました。

聖徳太子の壁画

東側壁面には聖徳太子の御尊像が描かれています。

しかし中世の頃からか
秘仏扱いとなり現代に至るまで御開帳されていません。

1977年に調査で開けた時があったそうで
その折に重要文化財に指定されています。

ちょっとした絶対秘仏の様な存在で
描かれた時期も不明で写真も公表されていません。

一度見てみたいー---(笑)!

なんでここに!?って所に壁に張り付く
薄い屋根付きの厨子があります。
そこに描かれいるそうです。

太子堂内の拝観につて

普段は貴重な建築なのでバッチバチに扉は閉まっています。
隙間から少し見えたような気がします。

お堂の拝観は隙間を利用した隙間拝観のテクニック
入堂に関しては滅多に機会はありませんが
たまー---に何かの節目で一般公開される時があります。
(今年たまたまあってもう終わってしまいました・・・)

気になる方は要チェックです!!

ちなみに自分は5年前ぐらい
国宝館リニューアルの記念で太子堂に入堂できました。

内部は煤で覆われていますが
特別なお堂であることが伝わってくる雰囲気でした。
(ありきたりなコメントですいません・・・)

またこの時に本堂の御開帳も行われいいご縁に預かりました。

三重塔


(県指定重要文化財室町時代再建。
1976年に
放火で内部を焼損するという事態が発生したが
1980年に修理が完了!!
(全焼せずに済んで本当に良かったです・・・)

観音堂


かのあいたた観音さんがおられたお堂

現在は近くの神社からこられた観音さんがお祀りされています。

鶴林寺御朱印



こちらはウインク『まこら大将』の御朱印です。

最後に

貴重な建造物を拝見できる大寺院です。

次回は文化財編で
あいたた観音さんや文化財を紹介できたらと思います。

是非、近くに来られた際はどうでしょうか~??


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達身寺|悠久の歴史を経て語りかける仏像たち


達身寺(たっしんじ)

みどころはいかに!?

カタクリの花(4月ごろ)
水仙の花

兜跋毘沙門天
阿弥陀如来
などなど数多く残る仏像群

どんなお寺!?


山号 

十九山(じゅうくさん)

宗派 

曹洞宗

本尊 

阿弥陀如来

創建 

不詳

開山 

行基菩薩

拝観料 400円

駐車場 あり
トイレ あり

住所 

兵庫県 丹波市氷上町清住259

丹波正倉院と言われる所以

なぜか!?

平安時代初期~鎌倉時代にかけての
仏像が多数納められている事から丹波正倉院と呼ばれる。

寺伝では奈良時代の仏像も存在するので

時代の幅がかなり広いのが特徴。

なぞ多き仏像群

80体近い仏像が宝物殿に祀られています。

且つ凄いのが

国定重要の指文化財が12体
県の指定重要文化財が34体

という数の多さ・・・

また、兜跋毘沙門天が16体
如来さんや菩薩さんも同種が多く存在します。

特に観音さんに関しては腹部が膨らんだ特徴があり

達身寺様式と呼ばれています。

更に謎を深めるのが未完成とわかるような仏像
も存在します。

大半が一木造りの仏像ですが

寄木造の破片もかなり残っていまして

経年で破片化してると言われています。

お寺の歴史

行基さんによる開山と伝えられていますが

明智光秀丹波攻めの際に

焼き討ちに遭い

焼失と共に古文書も失われ詳しいことはわかりません・・・

かなり大きい大寺院であったとされています。

その折に仏さんを山あいの谷に

緊急避難させたと言われています。

しかし・・・・

時代と共に忘れちゃったみたいで

後の世に疫病がめっちゃ流行り
拝み屋さんの様な方に疫病の終息の
(当時は病院やお医者さんとはいきませんもんね・・・)

お願いしたところ

谷に放置された仏さんの罰である!!と言われ

谷に行くと沢山の仏像を発見!

この仏さん達を

祀るお堂を建立するに至り『達身堂』と名付けられたそうです。

このお堂が現在地に移り

『達身寺』曹洞宗のお寺として再出発にいたりました。

これが1712年のお話です。

謎多き仏像の方々

(写真撮影ができないのでHPより拝借しました)

第一収蔵庫


もはやちょっとした小学校のような感じです。

大小様々の仏さんがおられます。
形をとどめているのはほぼ一木造の仏像です。
よく見ると神像や光背の化仏の様なものも見当たります。

第二収蔵庫


こちらが達身寺のご本尊。
鎌倉時代の作で唯一胎内に記述があった仏像です。
ただ作者ではなく発願者の名前であると推測されているそうです。

『ミヤケ 建久3年』だったような記憶があります
(間違ってたらすいません・・・)


達身寺で最古といわれている仏像
唯一お顔が大陸伝来の様な顔をされていています。

寺伝では行基さんの作とされています。

しかもこのサイズで一木造なんです!

一木造のお地蔵さん

達身寺の人気投票ナンバーワンの仏像です。

こちらがポッコリお腹が特徴の観音さん

子授けの御利益があるそうで

参拝された方が無事子供を
授かったというお話もあります。

謎を深める達身寺様式の観音さん

こちら兜跋毘沙門天

西村公朝さんが修復されこのお姿になっています。

他にもゴロゴロと毘沙門天さんがおられます。

謎多き仏像達の諸説

これだけの本尊級の仏像と大小様々な仏像たち
来歴に関しては諸説があります。
どれもありそー---な感じなんですが古文書などなく
裏付ける証拠はありません・・・

大きく3つの諸説に関して紹介します。

丹波仏師の工房説

未完成の仏像や神像そして
本尊級の仏像が多数から丹波仏師の工房

であったのではないかと言われています。

丹波仏師快慶』

丹波仏師の工房説を裏付けるような話

実は東大寺の古文書に

丹波仏師快慶』という記述があるそうです。

仏師の世界ではゆかりの地名を付けるそうなんですが

達身寺と繋がりがあるか
どうかはわかりません・・・・

興味深すぎー------


平家の南都焼き討ちの後に

重源上人を先頭に再興が始まりますが

その際に重源上人が

丹波仏師を引き連れて南都へ向かったという話もあります。

そうなると『丹波仏師快慶』の話と合っちゃいますよね。

でも裏付ける証拠はありません・・・・

これが丹波仏師の工房説になります。

客仏説

丹波市には古刹が多く存在します。

多くは七堂伽藍の寺院であったそうで
恐らく僧兵を抱える強大な寺院であったと思います。

山あいに囲まれているので

独自の仏教文化および
寺院勢力が栄えていた可能性もあります。

また丹波市丹波の国と呼ばれ
山に囲まれた難攻不落の要地とされていました。

土地は肥沃で鉱物は取れる

作物は沢山とれるほぼ完璧な国でした。

なので明智光秀さんは丹波攻めに

一度失敗しており二回目に大軍を動員して

やっと丹波の国を平定しました。

この様な背景と
本尊級の仏像及び小さな仏像がある背景とを考えると
戦火を逃れる為に達身寺に避難させたのではないか?
とも言われています。

これが客仏説になります。

出雲侵攻説

戦国時代の初期か中頃か
それより少し前かの話だそうですが

西国の出雲の国が近畿地方に向けて
大侵攻を始める機運があったそうで
西国の脅威から守るために戦の仏さんである

兜跋毘沙門天を大量に作って
祀り仏さんの力で侵攻を防ごうとした

とも言われています。

(後に出雲が侵攻してくることはありませんでした)

なんせ一寺に一体と言われ
楼門に祀られる兜跋毘沙門天がかなりの数
残っているのでなんらかの理由があると個人的にも思います。

ただ出雲侵攻説も裏付ける証拠はありません・・・

最後に

ロマン・ロマン・ロマンばかりのミステリアスなお寺

一体一体の仏像さんが語りかけ来るものは何なんでしょうね~~

それを感じるとますます興味が湧くロマンが尽きぬお寺です。

色んな説はあるけれど

現に我々の前に沢山の仏さんがましますというのが真実ですね

近くに来られた際は是非一度お参りされてはどうでしょうか~??


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